オーエムソーラーシステムの展開

『季刊 環境研究』 財団法人 日立環境財団 2010.03

1.はじめに

 私が数人の建築家と種をまき育てることに関わったオーエムソーラーシステムと言うパッシブソーラーシステムはこの四半世紀、有能な工務店を糾合し、たくさんの試みをし、一定の成果を挙げ、今日に至りもう一段の進化を果たしつつある。私たちが最近開発した「木造ドミノ住宅」についても本稿は触れるが、これは今日の環境問題を視座にわれわれが考えるべき主題を積極的に解く新しい住宅技術開発に当たるであろうと私たちは考えている。オーエムソーラーシステムはこの中で新たな姿を現し「ゼロエネルギー住宅」をわれわれの目の前に見せるものとなっている。そしてそれはドイツ北欧で試みられる「パッシブハウス」の試みに比類するものに進化するはずである。このオーエムソーラーシステムについての言及は多数存在する。私はこの稿を主に四半世紀前に遡るその出自、戸建住宅でのこの間の展開を踏まえながら進めようと思う。そしてそれがいかに住宅以外の様々な建築にこの仕組みがの展開したかについて幾分の重点を置き考察することを試みてみたい。なぜならこの仕組みが開発された時期、開発の中心にいた奥村昭雄にそれへの興味が大きくあり、その時期にいくつかのそうした建築を彼と筆者は共同して携わったことが大きな体験としてあるからである。その中でオーエムソーラーシステムは進化もしたと考えるからでもある。そしてこうした分野をも含む幅の広い分野でのオーエムソーラーシステムのこれからに一段の展開の可能性とその意義役割を信じるからである。

2.OMソーラーシステムの誕生

(1)石油ショックと建築

 われわれがオーエムソーラーシステムと名づけられることになるパッシブなソーラーハウスの試みを開始したのは四半世紀ほども以前のことである。正確には1981年の年末に奥村昭雄宅で開かれた小さな集まりがその始まりである。しかし 私は今、それはそれよりも約10年程も遡る1973年にその本当の始まりがあったといえるのではないだろうか、と考えるのである。きっかけはいうまでもなくこの年の「石油ショック」であった。「石油ショック」は第一次、第二次と二度にわたったのであったが社会はこの間、異常な負の興奮とでもいえそうな「ショック」に覆われていた。「環境」をキーワードとする問題がこれほど深刻なものとなった今日、実はこの時の「石油ショック」こそが その後の時代の始まりであり今日に至る課題の始まりであったのではないかとさえ思うのである。「石油ショック」以前、私たちは石油の枯渇があらゆる消費財の枯渇につながると言うことをまったく想像できていなかった。いや私たちの暮らしがいつの間にかしかもきわめて急速にこれほど石油に依存するものになっていたことに気付かなかった。私たちがその唐突な現実に翻弄された。その姿は今も私の記憶に新しい。「石油ショック」は典型的にはトイレットペーパーの払底によりわれわれを取り巻く様々な消費財の生産と石油の関係を痛いほど知らせることになった。気がつかないうちに私たちは石油にまったく依存する社会の只中にいたし今も居る。そしてそれは今日の深刻な環境を取り巻く課題につながっているのである。建築の現場では「石油ショック」その後も長く通奏低音のようにその尾を引くこととなった。直後の物不足はいうを待たなかったが、特に窯業製品の品不足と品質の際立った低下はわれわれの仕事にとり深刻な打撃となった。しばらくの間、劣悪な石油が瓦の焼成を著しく損ね、便器、洗面器など陶製の建築製品の品質を著しく低下させることとなった。こうした中、活況を呈したのが太陽熱利用の湯沸かし器である。屋根に載せその日の風呂の湯を作り出す、簡便な装置である。直裁で効果も眼に見えて覿面なそれは安価に提供され大量に生産され供給された。製造するメーカーも雨後の筍のように発生しその数数百に及んだと記憶する。ただしそれらのほとんどはそのおぼつかない性能の故、あっという間に消え去って行ったのであったが。そうした時代の中、建築家も様々に工夫をこらした。石油ショックの後の「時代の宿題」は「省エネ」と言う名で呼ばれたのである。建築の分野、特に住宅建築の分野でこのころやっと断熱材の必要が、開口部の気密が話題とされこととなる。石油を燃料とする暖房機の普及がそれを後押しした。きっとこの時代に至り市民はやっと「我慢の生活」からささやかな「快適な生活」を手にすることを現実のものとすることになったのだろう。

(2)奥村昭雄「大泉学園の家」

 1981年末の小さな集まりの核、奥村昭雄は私の大学時代の教師である。吉村順三の下で建築を学び彼の事務所のスタッフとして活躍する。吉村が彼を母校の教壇に呼ぶのがちょうど私の入学のときであった。その奥村からの呼び出しがあった。「ちょっと上手くいかない仕組みについて考える集まりをしたい。来ないか」と言うものであった。実はこの奥村は東京藝術大学の教授の中で際立って数学的技術的領域に通じた人であり,その師、吉村順三もまた当時の建築家の中で際立って設備、環境的分野に興味と知見を持つ人であり軽井沢や山中湖の別荘に温風床暖房を装備するなど住宅の暖房システムなどに様々な工夫を凝らすひとであった。ちなみにこのふたりが狸穴に実現したオフィスビル「NCRビルディング(1962)」は本邦初のダブルスキン(二重外皮)建築であり当時の同様のオフィスビルに比しエネルギー消費を40パーセントほども減じたことで知られてもいる。実はオーエムの発想のルーツはこうしたところにもつながるのである。小さな集まりのころ、奥村は,巷間をにぎわしていた温水器に代表される太陽熱利用ではない「もうひとつの仕組み」に取り組んでいた。それは太陽のエネルギーを空気に置き換え、暖房エネルギーとする工夫であった。「上手くいかない仕組み」はその一環であった。彼の試みた「大泉学園の家」様々な工夫に満ちた先駆的試みであった。ここでは屋根下で空気を温める仕組みがあった。室内の温熱環境をそれが作る試みがなされていたのである。そして「大泉学園の家」にはもうひとつの仕掛けがあった。比較的大きな地中の蓄熱槽があった。それはヒューム管より作られ内部は砕石で埋められていた。本来熱はここに貯まるはずであった。その熱がどこかに消えてしまう、「大泉学園の家」は当時、専門家向けの雑誌「ディテール」に詳しく掲載されていたのではあるが仕組みに大きな問題を抱えてもいたのだ。

(3)ソーラー研の発足

 夏のエネルギーを貯め冬に引き出す、もくろみは思いのようには動かない、難問は言い換えると面白い宿題でもある。この難問を片付けたい、それをきっかけに生まれた小さな集まりオーエムソーラーシステムを生むことになる小さな集まり、通称「ソーラー研」の発足はここを起点とするのである。手元に年月日の日付から始まる議事録風のメモのつづりがある。これは、奥村昭雄、奥村まこと、私、石田信男、丸谷博男などをその主なメンバーとした、この私的な勉強会の、奥村まことによる記録である。1981年4月11日を第1回とし1987年11月18日の阿品土谷病院見学会まで、延々7年、延30回にわたる会合の詳細はここに記録されているつまり「ソーラー研」は石油ショック後のエネルギー問題を起点とし、太陽エネルギー利用と建築と環境設備との関連について考えることが面白い、そう思う人びとが相互に触発しあいながら様々な思索がめぐらされ展開される集まりであった。そしてそこはそのきっかけが「屋根利用の空気集熱システムのいくつかの課題の解決」であったことからもエネルギー搬送の媒体としての空気利用の適正な展開にあった。つまり、屋根による空気集熱については当初からそれでいけるであろうという確信を共有する集まりでもあったのである。

(4)太陽熱利用の検討「逗子小坪の住宅」における試み

 私自身も経験したことだが、当時の太陽熱利用の主流であった水を媒体とする機器が瑣末で根本的なトラブルたとえば冬季夜間の凍結、漏水、機械の破損、夏季のオーバーヒートなどを避けられないものとして抱えていた。その難題は空気を熱媒体とすることで解決できるはずとの奥村の屋根の下に空僚を設け集熱する「大泉学園の家」で試みは正統であろう、これに問題はない、ただここでの宿題はここでの蓄熱の仕組みにありはしないか、集まりは初期そのことに集中した。夏のエネルギーを地下のちっぽけな蓄熱槽に冬までの長期貯めるにはその周囲にある「地球」という蓄熱槽はあまりにも大き過ぎるそう考えるべきだろう、そうであるとすれば結果数日分のエネルギーを床下にある土間コンクリートに貯めることが最善ではないか、との結論に至る。温暖な太平洋に面するエリアでは晴天日が続き、冬季といえども大きい日射量が期待できるのである。こうした検討はメンバーの実作の中で様々に試みられそこで現れた結果がさらに検討の対象となる、そうしたことが続くことで予想を超える成果を挙げることになるのである。私自身の最初のパッシブソーラーハウス「逗子小坪の住宅」(1985)はそのような中で実現することになる。(協力 大橋一正)ここでの試みは室内空気の屋根下循環による暖房、コンクリートブロック床、壁への流用による蓄熱などがある。そしてここで初めて余剰の太陽熱によるお湯取りが実現する。既成ファンコイルユニットに太陽熱による熱風を当てコイル内の水を加熱するとこの仕組みを夏季など非暖房時に給湯システムとすることを可能とするのではないか、と考えて試みたものだ。その後オーエムソーラーシステムとして展開する中でほぼこのまま使われていったシステムであった。ここでもそうであったが、初期、暖房系は室内の空気を屋根下に循環加温するものであった。あるとき、「外気」を屋根下に導入し暖めることにしたらどうか、との考えが奥村により持ち出される。今思うとこれがこのシステムの展開にとって目の覚めるような思い付きであったと考えている。新鮮なしかし低温の外気を導入しても室内の空気を循環しても、集熱屋根により取得できる温度にはほぼ差が無いという事実の確認は当時やっと廉価になった初期のポケットコンピューターによる奥村自身のシミュレーションにより予測され実測によって確認されたのである。また集熱温度を上げるためガラスの乗った部分を設けることの効果も検証する中で確認されたし、先の高温空気を使って給湯をするうまみなど、今日この技術の根幹となっている主要な部分のほとんどはこのころ試みられ実現されたものである。外気を直接取り入れる空気集熱の仕組みは結果として大量の換気量をもたらすこととなり、それがこの仕組みを持つ住宅の室内空気を極めて清浄なものとするという画期的成果にもつながったのである。屋根や床下という断面積の大きなダクト状のスペースでは空気の流れ速度が極めて遅く、外気中のごく微小なダストですら落下してしまう。押し込み型の換気となっていることにより室内側がプラス圧、室内各部の換気のばらつきが少ない。ほかにない数々の優位が現れたのである。

(5)断熱性の高い「箱」

 この間、私たちは太陽熱の集熱方法とともにもうひとつの課題を問題としていた。それは集めた熱をいかに逃がさないか、いかに逃がすことの無い「箱」としての家を作るか、にあった。当時の関東エリアなどを典型とする温暖な地域の住宅においてはやっと幾分の断熱材が壁内に挿入されることで良し、とするものであった。これではせっかく集め投入した太陽熱はどこかに消えてしまう。何とか気密に優れ断熱性能の高い「箱」を作りたい、私が北海道札幌の建築家を訪ね教えを請うことをしたのはこのころの事であった。私が防風通気シートを始めてみたのはこのときであったし二重に積まれたコンクリートブロックの内部に発泡断熱材が施されているのを見たのもこのときが始めてであった。彼らは寒冷の土地の中で北欧の事例、ドイツの事例を学びながら様々なトライアルをくりかえしていたのである。彼らの経験もやっと始まったばかり、様々な用途に適する断熱材の開発も緒に就いたばかり、四半世紀前はそんな時代でもあった。集熱と断熱と気密これらは時代の中でやっと出揃いつつあったのである。

(6)コンピューターシミュレーションの成果

 それからもうひとつの必須のツールが現れつつあった。それが通称ポケコン、ポケットコンピューターから始まる演算機能の急速な進化である。NECの98を駆使、独自の言語を組み立てながらシミュレーションの仕組みを構築することに熱中する奥村の楽しそうな姿を思い出す。ソーラーハウスを実効あるものとするには気象データの解析が何より重要である。地域の気象データが細かく存在することが無いと装備は過剰になったり過小になったりすることが必定である。当時日射量などのデータは標準気候表の形で主要都市数都市分のデータがあるのみであったと記憶する。奥村は自身でアメダスのデータを利用可能にすべく奮闘したのである。彼は二宮赤坂両氏による日射量換算についての学会論文などを駆使し、アメダス455測点のデータによりパッシブハウスの温熱状況の予測を可能とすることに成功するのだ。開発された計算ソフトは「燦さん家族」「Sunsons」、と命名され今日に至るまで性能を向上しながら極めて有用な道具として使われている。今日では、全国どこで計画するものであってもその予測値は極めて高い精度のものとなっている。開発当時こうした仕組みは他にどこにもなかった。シミュレーションはいうまでもなく今日も日々進化をして、この種のシステムとして他の仕組みを大きくリードしていると自負している。「ここにあるエネルギー」としての自然エネルギーの積極利用は今日の建築の課題であるはずである。最大の課題といってもいいのかもしれない。多くの地域において自然エネルギーのうち最大の可能性を持つものがいうまでもなく太陽エネルギーである。ただしこのエネルギーほど扱いにくいものはない。気ままである、あったりなかったりする、地域によってその「資源量」がばらばらである。コンピュータによるシミュレーションはそのため、利用に不可欠であったのである。これがなければソーラーシステムは、ドンキホーテのような技術であろう。オーエムソーラーシステムの成立は20世紀後半の技術革新とPCの能力向上、低廉化と機を一にしていたのである。一方で太陽エネルギー、この扱いにくい「資源」をどうデザインしようか、われわれが絞った知恵はせっかく取り込んだ「資源」をなるべく逃すまい、という戦略であった。先ほどの「箱」の話である。この「箱」実は穴だらけでもあるのだ。室内に直接放出すると窓やドアを開けた際、また換気扇の力で排出されることになる、床下に吹き込む、土間コンクリートに吹きあて、コンクリートに受け渡す。なるべく手間のかかるところに手渡すようデザインしたのである。これはこれで存外画期的なアイデアであったように思う。 一般に空調の専門家は建築の「もの」の部分に干渉しない。その結果、体験としてわれわれが感じている室内環境のうち、実に重要な部分を占める「もの」の効果について興味を示していないのではないか。デザインされたオーエムソーラーシステムにおいて熱は「もの」に受け渡されアクティブな技術がそれまでつくり出すことのできなかった安定した室内環境をつくったのである。いやこれはアクティブな技術ができなかったのではない。「もの」に興味を持たなかった空調技術がそれをしていなかったに過ぎないのだ。阿品土谷病院のサーモグラフィの画像をみて天井・壁・床・開口部の温度差の無さに驚いた研究者が「こんな画像を見るのは初めてです」といったことを今思い出すのである。

(7)地域工務店のネットワーク

 当時こうした試みとそれがあらわす成果は当初ここに集まった数人の建築家だけの楽しみであった。「ソーラー研」という小さな集まりをもち、建築家の楽しみとしてわいわいがやがやと開発したこれらの一連の仕組みはいつか「オーエムソーラーシステム」と名づけられこれを作る工務店のネットワークが構築されていく。それが工務店のあつまりの中で検証され彼ら工務店の道具となるのにそれほどの時間は必要としなかった。われわれが知る以上に工務店の経営を担う人々に取り、私たちが考え展開したこの仕組みは魅力のあるものに見えたようなのである。そのごく初期、最初の決定的成果は案の定、北海道の地で結実するのである。北海道の中で比較的冬季の日射に恵まれた地域である釧路の工務店の試みではわれわれの予想を大きく上回る成果があった。北海道の住宅がすでに一定のスタンダードとして獲得していた住宅の断熱気密性能がこれに大きく貢献したのだった。どういうわけであろうか、このグループに加入した工務店には実に多彩で有能な経営者が多く居た。運営の母体「オーエムソーラー協会」はマニュアルを作り、ソーラーシステムの設計の講座を開きながらシステムの普及を図ることをした。先にも記したが当時、この一事をとっても今日では隔世の感があるが温暖地で当時の北海道に学んだ断熱気密を指導することがなかなか大仕事でもあった。このグループにもうひとつ特長的な動きがあった。定期的に吉村順三の軽井沢の自邸を見るなど建築家の仕事や工務店の仕事を皆で見たりする真剣な集まりがあったのである。ここでは見学のほか専門家や、タイムリーな方の話を聞くなどの催しが開かれたが、そうした折に住宅の設計についての講座を開催したのである。これらは泊りがけで数日をかけ行われた。もちろんソーラーシステムの採用はプランのあり方を大きく変える可能性を持つ。一室だけが暖房されている局所暖房から全室暖房への切り替えは間仕切りの考え方を変える。極端に言えば間仕切りなしの家が可能なのだ。われわれのプランの考え方を伝える、風の流れを考え人の居場所を考える、庭を大切にし内外の関係を考える、われわれの思う住宅の設計のすべてをそこで伝授したのである。当時すでにハウスメーカーの後塵を拝しつつあった地域工務店の設計する住宅がそうした中で大きく変化していく、こんなこともおきてきたのである。今日までに加盟工務店の建設したパッシブソーラーハウスの累計は23,000棟(2009年10月現在)にのぼるという。オーエムの住宅はメディアの注目を集めることともなり、住宅雑誌を始め多くのメディアがそれを取り上げた。「OMソーラーの家」とタイトルされたムックの刊行も数回に及ぶ。この間、二度にわたるPLEA(Passive and LowEnargyArchitecture)国際会議は釧路、奈良においてオーエムソーラー協会傘下の工務店の支えにより開催されることとなる。「SOLAR CAT」と名づけられたオーエムソーラー協会の機関誌は様々な環境情報を発信し社会に一定の影響を与え続ける。「SOLAR CAT」に掲載された環境建築を主題とする主な記事は終刊時に「日本の建築デザインと環境技術」とタイトルされ総集編として刊行されたがこのタイトルがこの間のわれわれのスタンスを著すものと考えられよう。これらの編集企画は真鍋弘により行われた。

3.OMソーラーの建築

(1)大型建築での試行から発展

 初期われわれはこの仕組みの大型の建築への利用のついても考えていた。「ソーラー研」の時代、最初にこのシステムを試みた大型の建築は、群馬県に建つある企業の保険組合のための室内体育館であった。この種の大空間を持つ施設は、アクティブに暖房を行なうことがコストの面でも空間の性格からもきわめてむずかしい。群馬の冬は空っ風とともに冷え込む。その底冷えをする室内を運動に適したほどの一定程度の加温をする目的で屋根集熱を行なうこと、それをもうひとつの目論見であったダイレクトゲインを副次的に期待しながら計画したのがこの施設であった。ここではこの両者あいまってほぼ期待通りの室温保持が可能となり成果を得た。大型建築での屋根集熱の威力はこれに関わった者の実感であった。

(2)学校建築に快適性をもたらす

 その後 こうした大空間での一定室温維持のためのこのシステム採用は、今日も学校体育館などで多くの事例があり数多くの成果がある。室内プールの水温室温をともに維持し利用期間を大幅に拡大している例もある。また、いうまでもないが学校のように使用期間にばらつきのある施設では冬の休暇の際など、外気温並みに冷え込むはずである。これを仮にアクティブな技術に拠って一定程度に維持すると考えるときわめて大きな負荷を伴うこととなる。室内の温度を一定のレベル-仮にそれが快適室温に届かないとしても-に保っておくこと、それを太陽熱という自然エネルギーによって効率的に行なうことはエネルギー資源の節減ばかりでなく、施設の維持管理の面からも、建築の長寿命化といった視点からももちろん望ましいことであろうと思う。今次、環境省の主導で実施され定着しつつある「学校エコ改修」の事例においてもオーエムソーラーシステムの導入によるものを多く見るのである。また学校建築においては、オープンスクールタイプと呼ばれる区画の比較的少ない平面計画が盛んである。画一的授業の弊害が避けられ自由な教育が可能であるからであろう。こうしたプランを成立させ、しかも室温を確保しそれを快適で過ごしやすい場とし、名実ともにエコスクールとして運用することは自然エネルギー利用抜きでは支えきることがきわめてむずかしい。従前の設備計画によってこれを成立させようとすると、驚くほどのエネルギー消費を伴うからだ。学校建築は数多くの公共建築の中で極めて珍しく、これまで長きにわたり、劣悪といっていい室内環境を放置してきたともいえよう。そのことにより、実はエネルギー使用量のきわめて低い建築群として存在してきたのである。そのためこれを新たに近年、文科省の推奨するエコスクールの基準にそって設計すると、以前の数倍のエネルギー使用を招き、関係者がその結果にあわてるということもまれではない。室内環境を制御することを当然のことと考えると学校建築は広大な面積を持ち、利用時間が偏っているなどなかなか難しい面を持つのである。オープンスクールの普及とともに寒地の学校建築などで冬季の授業外の生活を豊かなものとする手段としてコモンと呼ばれる比較的大規模な中間的空間を設けることの意義が確認されている。こうしたスペースの室温確保のため、このパッシプシステムが積極的に導入されているが、こうした事例も今までにない新しい教育環境の生成の試みと考えられようし、こうした試みは今後ますます広がるであろう。そしてこうした計画は、きっとなんらかの意味で自然エネルギー利用を考えることなしに成立することはないだろう。人びとの行為がアクティブであり、いわゆる静的室内における快適室温ほどにまでの加温の必要はない、そのうえ面積が通常の暖房を施すには巨大である、こうしたスペースは従来、商業的な場などを除き外気温と同じ水準に甘んじるかそれ以下であっても仕方がないと考えられていた場である。自然エネルギーの利用は、こうした中間的空間の質的向上を負担の少ないかたちで実現しつつあり、今後も次々試みられるものと思われる。図書館、公民館、町役場などを合築し複合化する事例も数多く存在する。こうした地域の複合施設をつなぐアトリウムのような中間の場を快適なものとすることも、この技術が得意としているものである。

(3)医療・福祉施設に適性を見出す

 体育館についで実現した大型建築が阿品土谷病院であった(1987年竣工設計奥村昭雄 野沢正光)。10000平方メートルほどの広島郊外の総合病院である。この計画はこのシステムを本格的に展開、開発するまたとない機会であった。ここでは実に多彩な試みがされ、システムを支えるデイテール、周辺技術、の展開のほか、諸問題の複雑な解を求める作業をし、そのため自然エネルギー技術のみならず、コージェネの採用、自動搬送ロボットの採用までが考えられ実用化された。ここでの空気集熱システムは、アクティブな技術を含んだたくさんの適応技術の一つとしてデザインされたものであったが、このとき初めて実測と計算値との検討によるシミュレーション技術の構築のため、設計段階で実大屋根モデルを作り長期測定をするなど、いわゆる建築設計のしきいを超えた作業を繰り返した。室内を清浄空気で満たすこと、室内を外部と比しプラス圧とすることにより外気の進入をしにくくすること、室温を各部で一定となるよう設計し、室内の壁・床・天井など、「もの」の温度を室温に近くすることにより、輻射、対流などによる室内気流の不快を取り除くことなどの効果と意味はこのプロジェクトで実証され、経験としてわれわれのものとなった。今日、病院を初めとして老人福祉施設、保健センター、デイサービスセンター、保育所、福祉作業所などを代表とする福祉施設、高齢者施設へのこのシステムの組み入れ事例を多く見るのはこのシステムがもつ温熱的特性、つまり室温と建築の「もの」の温度が近いことという特性をもち、外部空気を加温して室内に導入していることが室内換気をきわめて大量に促進し、これがこの種の施設がもつ特有の臭気を消していること、いままでにない快適な室内気候をつくっていることが体験を通じ次第に人びとに知られ評価されてきた結果であると考えられるだろう。高齢者施設を筆頭とする社会福祉介護施設の質的向上、特にその環境としての水準の向上は特に配慮されるべき課題である。しかもその運営維持が合理的で無駄のないものでなくてはならない。パッシブな自然エネルギー利用の意義はこうした施設に顕著である。大きなエネルギー負担に拠ることは将来の運営上の破綻を予測させよう。

(4)寒地の別荘への採用

 比較的温暖な地域でのOM加盟工務店への啓発はシステムの理解とともに断熱気密の普及にあったとも考えられる。その中で別荘、しかも寒地の別荘への採用が特に目に見えて効果的であった。冬季の室温保全が宿命的問題であった、水道凍結などのトラブルから利用者を解放してくれたことはもちろん、別荘に到着してからそこでの生活を立ち上げるまでの煩瑣、我慢がまったく違うことが画期的であった。しかも室温保持ほか、室内が通年にわたり換気されていることの利も捨てがたい。湿気によるカビの発生などが劇的に減るのである。こうした利点は当然のことながら往々に無人になることの多い、管理に手をかけることがおろそかになりうることのある施設にとっても効果の実感できるものである。公園施設、山間の施設、たとえば自然の中のビジターセンター、公衆便所などでこの仕組みが発揮している個性であろう。上高地ビジターセンターなど国立公園の公共建築での事例が効果を証明する。もちろん自然エネルギーによって一定の室温、空気質の確保がされていることはアクティブな空調をすることと矛盾しない。いわばあらゆる建築がなんらかの意味でこうした仕組みによってサポートされることが望ましいはずである。われわれが設計する公的施設は木造のものが多い。これら施設、私の設計したたとえば長池ネィチャーセンター、いわむらかずお絵本の丘美術館などにおいても、夜間、休館時の室温保持は使用時の立ち上げ負荷を軽減しているし、そればかりでなく、建築そのものを過酷な外気温変動に晒すことなく、年を通じ平衡に保つことによってそのライフを長く保つことに貢献している。

(5)地域工務店の技術

 オーエムソーラーシステムは地域の工務店のネットワークにより展開することが最良の方法と考えた。そして各地の加盟工務店が参加し組織されていくこととなった。各地に土地ごとの特徴があるように地域の工務店の仕事にはそれぞれの特徴がある。そうした工務店が独自に仕事の範囲を開拓し住宅のスケールを超えた仕事をしていく、こうしたことにもこの技術は役だっていくと考えたのだ。結果として公民館、事務所、保育園、幼稚園、郵便局、集会場、クリニックなどに佳品が多いのはこうしたことによっている。また地域工務店にはハウスメーカー、パワービルダーに伍して地域づくり、環境づくりに地域に責任を持つ地場の組織として関っていくことを目指すものも少なくない。自前のデザイン、住宅タイプの開発を果たし、一定の評価を得ているもの、地域の戸建て住宅供給を環境型の街づくりとして行ない、いわゆる建売住宅地の荒涼とした風景と異なる質の高い住宅地供給をするものなどである。これもわれわれが当初から設計スクールと称し数日にわたる泊り込みの勉強会を持ち建築の質についてともに考え、学び、共感するものを模索してきたことの成果といえるのかもしれないと思う。

(6)改修再生計画に環境技術を取り込む

 そしてこの技術は、今後さまざまな環境捜術のなかの有力なひとつとして適所に採用されますます進化していくはずと考えている。これが何より面白い技術であるからと思っているが、ひとつあげるとすれば改修再生の計画の主要な手立てとして役立っていくことを期待する。われわれは戦後営々と建築をつくり続けた、その結果としての膨大なストックをどうするかという難問に直面しつつある。膨大な建築ストックは何らかの方法で再整備されなければならないだろう。つまり今日のスタンダードを越えた100年先を見据えた新たなマスタープランをこれらストック群に対し考え実行しなくてはならない。 再生と水準更新を一時に行なう、環境技術はこうしたストックの再生という局面できわめて有用な働きをするはずである。再生を待つ火急の事例は戦後建てられた膨大な団地であり、それらが健全に維持され社会財として機能し続けわれわれの負の資産としないため、こうした建築を再生整備していくことが求められる。集合住宅においては最上階、妻側住戸が熱的にきわめて脆弱でありそれに包まれた住戸に比ベ大きなエネルギー消費を背負っている。こうした点に注目した改修は住戸の快適性を保障しサステイナブルなものとして今後長期にわたり使い続けることを可能とするだろう。

(7)木造ドミノ住宅

 オーエムソーラーシステムは四半世紀前に誕生したシステムである。オーエムの始まった1980年台から今日までの約30年の時間の流れは実に速く進化は急速である。多くの技術が時間の中で陳腐化しているという現実もある。果たして今日、オーエムはどのような位置にあるのだろうか。私自身が数年前から関わる「木造ドミノ住宅」に付いて紹介することでその答えを示すことを試みたい。「木造ドミノ住宅」は東京都の提示した実施を前提とする一種のプロポーザルコンペをきっかけに開発された高性能低価格住宅である。都はと都営住宅の建て替えにより余地となった都有地の活用をもくろみ戸建住宅地開発のコンペを仕掛けた。この中で40坪、坪単価50万の住宅の開発を「実証実験」として公募した。この場でわれわれはオーエムソーラーシステムを搭載ししかも坪50万となる住宅の開発を試みることとなる。われわれが開発した「木造ドミノ住宅」は徹底したスケルトン(サポート)とインフィルを分離するいわゆるオープンビルディングシステムにより改変可能で長期利用に適した快適な住まいとするとともに、パッシブソーラーシステムを新たに見直し一段の性能向上を目指すことにより今までにない性能と価格を実現することとなった。集熱効率の向上のため急勾配の「帽子」を載せたのようなシルエットもこの家の特徴となった。東村山に建設された25棟の住宅は冬季の曇天の最も寒い日の朝であっても室温17度を下回らないという。オーエムソーラーシステムはここに至りほぼ「無暖房住宅」となっていると考えて良いのではないかと私は思うのである。「木造ドミノ住宅」は多くの工務店が興味を示しこれへの取り組みに手を上げつつある。オーエムに習い「木造ドミノ研究会」という会員組織が立ち上げられ、国の長期優良住宅制度にも認定され各地で展開を始めつつもある。これが新しいオーエムソーラーシステムの牽引役を果たすことはほぼ間違いが無いだろう。

4.まとめ-環境技術としての建築

 CO2削減はもちろん主要な国家的命題である。その中で住宅のエネルギー消費の削減は喫緊の課題であることはいうまでも無い。もちろん太陽電池の搭載、燃料電池の設置など最新の機材の投入によることは意義が高いだろう。ただこの国の冬季の日射量は日本海側などを除き特に太平洋側において極めて大きい。この利用は何よりの有用性を持つ。われわれはそうしたエリアでのオーエムソーラーシステム、特に今日、高断熱高気密化技術の中で一段進化したこのシステムの採用の大きな意味を考えるのである。こうしたエリアの多くでより一層の利用が住宅のゼロエネルギー化を進めることはいうまでも無い。オーエムが住宅の暖房のほとんどすべてをまかない給湯の過半をまかなうことは夢ではない。そうなれば住宅のエネルギー消費は家電、厨房などに限定されることになろう。そうした住宅が仮に太陽電池などを装備すれば「プラスエネルギー住宅」となることも夢ではあるまい。と思うのである。私はレイナー・バンハムの著書、『環境としての建築』に大きい衝撃を受けた世代である。これが刊行されたのは1969年のこと、それが翻訳出版されたのは1981年である。もう刊行後40年も経つ。建築がフィジカルな空間つまり光と架構に収斂すると説明されるとき、その建築は極言すれば神殿のようなシンボリックなアンチヒューマンなものに偏するのではないか。バンハムの著作の焦点はここにあった。良く考察されるべきは「環境」にこそある。だから光と架構で説明がされていた建築から「環境」がいかに考察、解決されているかを拾い出し、示し、建築家が人のための空間をどのように環境として考え続けてきたかを示し、これこそ考察し続けるべきものであると提示したのである。バンハムの著書のタイトルにある=良く強化された環境とは不足を補い調整され考察された、つまり極めて考えられた環境という意味であろう。「環境」とくくることのできる建築技術は当然ながら実に多様多彩である。アクティブな技術がそれがアクティブであることによって貶められるということは、もちろんない。自然エネルギーの利用にとってもそうした技術が不可欠である。コンピューターの画期的進化、これによって自然エネルギー利用が注目され再認識され利用可能となっているのであり、われわれは過去に戻るすべを持たないことはいうまでも無い。懐旧としての回帰では今日の社会的要求と乖離するばかりだろう。われわれの問題解決は当然ながらそのシミュレーション、制御、など多くを最新の技術的成果に拠っているのである。くり返す。今日の技術は最新の解析技術、コンピューターがこなす膨大な計算がもたらす判断によっている。自然エネルギー利用が確実な成果を挙げるものとなったのも、このこと抜きにはありえない。もちろんオーエムソーラーシステムが一定の成果を獲得したのもそれによっている。 建築を快適でサスティナブルなものとするための適応技術、それはさまざまにあり今後もさまざまに展開発展していくだろうと思う。とすれば、アクティブな太陽熱利用のみが環境共生技術であってはあまりにもさびしすぎるだろう。そしてそれら技術はそこで計画される建築が求めるところを最善のものとするための、さまざまな複雑な解決すべき諸問題のネットワークの一部分を有効に担うものでしかないはずでもあろう。これら環境共生技術の展開は確かに目覚しい。太陽光発電、風力発電、バイオマス、をはじめとする、バイオクリマチックな領域技術精度を少しずつ確実なものとしつつあるように見える。そうしたなかでそれにより達成されうる環境の質が新しく問われるのであろう。質をどう評価するか指標の設定はさまざまであっていい、むしろさざまでなくてはならないとすらいえるだろう。われわれのオーエムソーラーシステムと言うパッシブソーラーが今まで以上にその自然環境共生技術を多彩なもとし、もっともっと発展させていけるであろう、そう私は今考えている。そして私が関わる具体のプロジェクトごとにそれらおのおのに応じた適正なアプリケーションを見つけていきたい。また多くの建築家とプロジェクトを介したコラボレーションを実現し、より多くのトライアルに参画していきたいと考えている。四半世紀を経たオーエムソーラーシステムはこれからの問題解決のために新しい一歩を踏み出しつつある。

TOPへ