「執筆原稿」に住宅建築1月号の文字原稿を掲載した。
「執筆原稿」に住宅建築1月号の文字原稿を掲載した。
団地再生技術セミナーがNPO団地再生研究会と団地再生産業協議会の主催で以下のように開かれます。これからのサステイナブルソサエティの重要な課題である団地再生について議論を深めます。興味をお持ちのかたがたの参加をお待ちします。
■第4回団地再生技術セミナーのご案内
日時:平成20年2月14日(木)13:00〜17:00
会場:東京ガス本社2階大会議室
ある建設会社のモデルハウスとして建設される平屋のドミノが動いている。木造ドミノ28である。屋根勾配は変更され、ほかにも地域的条件による改変がある。地方への回帰を求める団塊の世代のセカンドライフのためのほどのいい住まい、を考えたもの。庭には小ぶりな農園が計画される。ドミノの地域版の展開が始まっている。




遠藤さんの菊竹事務所時代の図面が展観されている。INAX GINZA7階。もちろん菊竹事務所のサポートがあり、もうひとつ古谷研究室のバックアップがあっての実現した企画とと聞く。東光園、国際会議場コンペ案、佐渡のホテル、スリットが綺麗な納骨堂、都城会館、淺川テラスハウスなど濃密な原図が並び、西武デパートの綿密な工程表なども驚かされる。何より万博のエキスポタワーの巨大エレベーションには心からおどろいた。例の遠藤メモ(これはコピー)も展示されている。残念ながら明日6時半まで。益子さんの退官記念展は明後日の日曜日まで。芸大陳列館で。初日のパーティに出たがあまりの人に展示はまったく観ることができず今日再度出かけた。二階展示室。益子さんの住宅の考え方、その変わらなさが展示によってわかる。連続する高窓から気持ちのいい外光が注ぐ。これもとても気持ちのいい建築展であった。
INAX GINZA
http://www.chousadan.jp/kentikuka-club/keireki/f080/f080.htm
一月号は清家清特集である。今、手元に届いた。平良さんが編集長でなければこうした企画は無い。自邸と小原会館の今が鮮やかな写真に切り取られている。特に自宅の東側の緑を撮った巻頭見開きはすごい。記事は清家さんの文章の再録から林昌ニさん古谷さんの対談、石山修武さん等の清家さんについての小論の続き、一族の座談まである。林さんの家の今日の印象も興味深い。いい写真だ。後半は趙海光氏の「私の家」解析(ここでは25年前、真鍋弘編集長時代の「建築知識」誌上で私が清家さんに聞く形で記事とした内容が多く引かれている)があり、その後に私の自宅、小玉祐一郎氏の四国高知の家、そして大谷弘明氏の自邸が掲載される、という編集である。この三名もそれぞれに清家さんについて小文を書いている。一冊まるまるす べてが清家特集である。
そして何よりこの特集を飾るたくさんの写真は、遠隔である小玉さんの仕事を除きすべてが、大橋富夫さんの最新の撮り下ろしである。これにも驚く。大橋さんと平良さんの年齢ををたすと軽く150を超えるのではないか?恐るべき「住宅建築」である。我が家の写真もとても新鮮で丁寧なものであり嬉しい。送られてきたば かり、まだ読んではいないが、楽しみである。
数年前竣工の「小金井中町の家」にいく。ケヤキの落ち葉が玄関の屋根に積もっている。居間にウエグナーのデイベッドとテーブルが収まった。それを見せていただくのが目的であった。ちょうど良い具合であった。驚いたことに別に朱色のとてもいいイージーチェアがある。一見してウエグナーである。昭和45年ころ、この屋のご主人の母上が求めたものとのこと。40年近く母上が使っていたものとのことだ。背は大きなカーブする合板、座は例の紙紐を編んだもの。カシューで塗装されている。帰宅し織田さんの「名作椅子大全」で探したところカールハンセン、1950年ころの製作のようである。キャプションに「プロポーションはあまり美しくないが、座り心地はよさそう」とあるから織田さんもお持ちでないもののように見える。見事に部屋と調和している。プロポーションもなかなかのものである。とても嬉しい。建築より家具のほうが世代を超えて使い続けられる、と言うことが、不思議な感慨を呼ぶ。
この日はもうひとつ訪問する目的があった。無線操縦で飛ぶ飛行機である。クライアントは知る人ぞ知る、この道の大家。私の願いを聞き入れてくださり、作ってくださった。実際に飛ぶ機体である。機体はカーチス ジェニー。以下製作者に教えていただいた来歴を写す。
カーチス ジェニー (Curtiss Jenny)
1913年代、アメリカを代表する航空機メーカー・カーチス社は新型機の開発に苦労していたが、ことごとく失敗。ヨーロッパの進んだ技術を導入するしか方法がないとの結論に 達し1914年のはじめにイギリス、ソッピース社にいたB.ダグラス・トーマス技師を設計者として招いた。アメリカに来たトーマスは数ヵ月後の1914年春には試作機カーチスJの初飛行を成功させている。当時、第一次大戦で航空機が武器として活用されるようになり、パイロットの養成が急務となり、 練習機として開発されたジェニーが大量に生産され、その総生産数は8,000機を超えベストセラーとなった。大戦が終わった1918年に大量のジェニーが民間に放出され、アメリカ各地で遊覧飛行や曲芸飛行が盛んに行われ、アメリカ人が始めて乗った飛行機はジェニーと言われるほどであった。ライト兄弟のフライヤー次ぐアメリカを代表する飛行機となった。

先週金曜日ムサビ。一年生から三年生の課題の講評会であった。講師でもある元新建築編集長中谷正人がゲストクリティークであった。睡眠時間の不足を訴えながら、きわめて元気。
午前中、三年生布施スタジオ、高橋スタジオ、土屋スタジオの成果の公表から始まり、午後に一年生、二年生の発表。三年生高橋スタジオ、「計画都市の環境単位」と言う課題に、池尻を敷地として挑んだグループが面白かった。土屋スタジオは一般の建築設計課題と異なるがこれも興味深い。市谷の路地の階段をムサビに移したインスタレーションに注目する。ムサビらしい教育が模索されている。
電車内で隣のひとが読んでいた記事がちらと目に触れた。日経の最終面、「文化」欄である。そこに‘団地‘の文字が見えた。気になり、キオスクで購入。長谷さんと言う団地ファンの寄せた記事であった。懐かしい団地がひそやかに消えていくことを惜しみ写真を撮っている、ということで、それらをサイト上にアップ、話題となっていることが記事中にあった。もう一歩進んで再生維持に興味を持っていただけないか、ともおもうが、団地のほかにも工場建築、ダム、などに特別興味を持つ人々が増えていてそれらの出版もされていることを知っている。ひょっとしたらこうしたことが保全維持の底力になることがあるのではないか。ちなみに団地百景のサイトは
http://danchi100k.com/

大分片付いてきた。園庭の整備も始まる。中庭のデッキもニ三の装備をのぞき輪郭が現われた。こぶしが植えられた。玄関前キャノピーから建物屋根のつなぎの部分も収まった。建物は中庭を囲む「ロの字」型である。クロスに架けられたのぼり梁とその上の屋根の架構が集熱屋根で頂点が傾き、換気採光のための高窓に向かって登り、プレイルームで対称となる。システマチックなバリエーションのつもりである。「ロの字」の各々の四隅の勾配屋根の収まりなどに工夫があった。屋根面の構成もちょっと異なる。モヤのスペースが断熱材の層であって、その上が野地板、空気層形成のための垂木が載る。軒庇部は野地板裏に化粧の板を貼って収める。面戸はその上の垂木に止まる。ごく薄い軒先ができた。大部分の軒は1800の出である。ただ雨どいをつけず雨水を垂れ流す建物向きである。中庭などといを必要とするところは水勾配の確保が難しい。年内にほぼ片がつくのではないか、細かい修正、追加をしながら4月の開園を待つ。


ウイローロードのゴールドフィンガー邸はあのナショナルトラストが最初に買い上げたモダニズム建築として著名である。数年前に訪れゆっくり見せてもらった。公園に面する二階のリビングには彼の様々な所持品がそのままあった。天窓のある階段が印象的であった。その折、手に入れたパンフレットを探したのだが見当たらない。どこに行ったのだろう。再度探索しよう。数ヶ月前の朝日新聞 Be日曜版の「奇想遺産」にゴールドフィンガーの代表作トレリックタワーが取り上げられており、最近当時のこうした建築に注目が集まっている、とのコメントがあったと記憶する。サッチャー時代以降、戦後モダニズム期のハウジングが壊され、そうした現場のいくつかを実見したこともあり、この記事は記憶に残っていた。
さて、唐突になぜ、ゴールドフィンガーか。先日「温故知新の家づくり」の鈴木工務店のHPを見た。鈴木亨氏がイギリス留学経験者であることは聞いていたのだが、この二つがつながったのである。彼の経歴にゴールドフィンガー事務所勤務とあった。これにはちょっと驚き、訪れた自邸を懐かしく思い出すこととなった。
彼、ハンガリーから流れてイギリスへ。戦争の続く中、様々な運命が様々に人を翻弄したのであろう。そういえばハイポイントアパートメント、ペンギンプールのリューベトキンはロシアから逃れてきた人であった。



THE JAPAN ARCHITECT 2008冬号が刊行された。例年この冬の号がYEAR BOOKである。新建築、住宅特集に掲載された建築のうち50がセレクトされている。英文併記。「那須の週末住宅」が取り上げられている。巻頭に五十嵐太郎 森川嘉一郎の対談。巻の終わりに住宅設計競技の結果がある。

東村山で「木造ドミノ」と「木の香る家」の二つのグループ、われわれと現代計画研究所、そして某大学のプロジェクトチーム三者が集う検討会があった。この二つの実証実験グループの構造設計がともに山辺豊彦さんであることもあって、某大学の研究プロジェクトと連動、その中でこれ等二つのプロトタイプが出会うところはないか、ということをさぐる試みも行うことになるだろう。大学の行う研究プロジェクト自身は既存の改修過疎対策としての民家改修を含む大きな宿題を考えるものでもある。われわれの「木造ドミノ」もこの間にずいぶん進化している。「木の香る家」は初期型と今建設されているものが大きく異なっている。今回初めてそれを見せてもらった。プランの可変性、空間の流動がある。進化型を今回はじめてみたがきわめて好もしい。言わば原則は保持しながら「ドミノ」に近づいているとも見える。今回開始されるプロジェクトが国産材による伝統的地域型住宅の様々な可能性に貢献することになればなにより嬉しい。この二つのチーム以外のプロジェクトはすべて外国産材によっている。

昨日 すまいるホールで実証実験グループの成果の発表があった。東京都がずいぶん力を入れている。都内で建設される戸建て住宅の7割が在来工法、つまり地域工務店の手によっているとのこと、施策の充実を図りたいと考えるのもうなずける。三井所さんの講演、都市整備局住宅政策担当部長瀬良さんの話があり四社それぞれの発表があった。ドミノは迎川氏が話す。私は聴衆である。都とアルセッドがまとめた資料が配布されたがなかなか充実した内容のように見かけた。相羽さんも会場に駆けつけている。数人の知人と挨拶。鈴木亨さん、稲田君も来てくれている。同席会場の参加者からドミノに参加したい、との話もあった。終了後台湾料理屋で食事。久しぶりに稲田君が同席。噂話、世間話に花がさいた。
昨日 立川で施工者選定のための公開プレゼンテーションがあった。今回の「立川モデル」はここまで徹底した公開を行う。。午前10時から夕刻までの日程。
応募した5社は分厚い技術提案書を既に提出しており、審査委員はそれを読み込んでいる。提案内容の採用可否の判定のための会議は一月ほど前にわれわれの参考人としての出席の中で開かれ、結果は応募各社に伝えてある。各社はそれを受け今回のプレゼンテーションに臨んでいる。
技術提案の内容をパワーポイントを使い説明、その後審査委員の質疑。終了後別室で審議。この間市民の中から選定された立会人が傍聴する。会場で審査委員長から評価点が市長に報告され、その場で総合評価方式に則り市が計算する。結果、技術評価,価格とも第一位であった社が当然ながら「予定者」となった。ただ、2位は価格では4位の社であった。
約5億ほどの価格差が逆転している。技術提案を求める総合評価方式の意味はここに現われていると考えられる。これから変更の作業があり、手続きを経て着工となる。いよいよである。